「Dear Evan Hansen」、こんな感想も...

前回ミュージカル「Dear Evan Hansen」、とても心に響きました!という内容の投稿をアップしました。

ミュージカル「Dear Evan Hansen」感想

ネットでも「感動した」「共感して泣いた」という感想があふれています。一方で、そうじゃない感想ももちろんあります。

観る前にあまり先入観を持たないために、以下は実際に観た後で読んだ方がいいかもしれません...


ストーリーに納得できない!

こっちのアメリカ人の友人が、以下のような感想をフェイスブックに書いていました。

エヴァンは、自殺したコナーとは親友だったと「嘘」をつくことで、コナーの家族やコミュニティを騙し、募金を集めることに成功した。憧れのゾーイと付きあうこともできた。その嘘がバレても、エヴァンは何も罰を受けないのか?彼が孤独で不安障害だったから、という理由で嘘も許されるのか?話に納得できない。

友人の言いたいことも分かります。結局は嘘を重ねて引くに引けなくなったオオカミ少年の話で、人を騙した報いは当然あるべきだと。なのに、最後のシーンでは「コナープロジェクト」で集めた募金でりんご園が再開されたことを仄めかしているし、マーフィー家の人々(と、ジャレッドと、エヴァンの母ハイディ)以外は誰もエヴァンの嘘を知らないままのようです。ゾーイにも最後に許してもらったし...エヴァンは嘘をついたにも関わらず何も失わなかったように見えます。

友人の意見に同調するコメントも結構ありました。音楽はいいけど、ストーリーは腑に落ちない、みたいな。ネットでも、嘘がベースになっているストーリーに疑問を呈する記事があるみたいです。

前半フィナーレの「You Will Be Found」は、前回も書いたとおり、観る前から良い曲だと知っていたのでとても楽しみしていました。

   暗闇に押しつぶされそうなときも
   支えてくれる友達が必要なときも
   地面で打ちひしがれているときも
   誰かが君を見つけてくれる

(You Will Be Foundをうまく訳すのって難しい!)

ところが、孤独な人の救いになりそうなこの感動的な歌が、偽りの友情を語るスピーチの流れで歌われると分かったとき、正直違和感を感じざるを得ませんでした。エヴァン自身も、自分の噓から始まった友情がソーシャルメディアで拡散されていくことに困惑している演出だったと思います。


どうすれば納得できる?

では、その友人のような感想を持つ人は、このストーリーをどうすれば納得できるのか?考えてみました。

エヴァンが嘘を重ねる前に早く嘘を打ち明ければ良かったのか?そもそも最初から、その手紙は自分が書いたものだと正直に言えばよかったのか?まぁ、それだと全然面白くないミュー時ジカルですよね。(笑)

じゃあ、最後に嘘がみんなにバレてネットが大炎上し、エヴァンが叩かれ、募金してくれた人全員にお金を返さないといけなくなるなど、社会的制裁を受ければ良いのか?まぁ、そういう展開はアリかもしれません。特に、今のネット社会における孤独とともに、その怖さ(簡単に情報が拡散し、瞬時に賞賛され、瞬時に非難される)にフォーカスするのも、別の視点で面白いかも。

ただ、そんな救いのない話を観客は求めるでしょうか?エヴァンは、うまく人とコミュニケーションできないけど心優しい16歳の男の子で、亡くなったコナーの家族(ゾーイも)をがっかりさせないため、喜ばせるためについ嘘をついてしまったのです。そして、嘘のメールを捏造したり募金プロジェクトを立ち上げたりするのも、ジャレッドやアラナ達の提案に押されたこともあり、本人の気弱な性格のために、一旦始まった嘘から後戻りできなくなってしまったように思えます。少なくとも私は、エヴァンがそうせざるを得なかったことに共感できるのです。私だけでなく、これを観た多くの人がエヴァンの優しさや弱さに共感したからこそ、このミュージカルが高く評価されているのでしょう。いつも正しいことを行い、正しいことを言える人ばかりではありません。

だから、そんなエヴァンが社会的に罰を受けることなど(大抵の)観客は望まないだろうと思います。今のネット社会では、いつでもどこでも人の弱みを簡単に攻撃し、お互いに優しくなれないからこそ、みんな本当は人の弱さを許したいんじゃないでしょうか?

少なくともエヴァン自身は心の中で十分に罪を感じ、打ちひしがれています。最後のシーンで、エヴァンはコナーのことをもっと知るためにコナーの好きだった10冊の本を読んでいると言っていて、彼なりに罪の償おうとしています。

このミュージカルは、現代の人々が抱える孤独の闇や、過ちを犯してしまう弱さをありのままに描いているもので、別に「嘘をついてはいけない」といった道徳的メッセージを伝えるものではないと思いました。


念のためですが、話に納得できないと言ったその友人は、別に「話の筋を変えるべき!」とかまで言っていた訳ではありません。上記はあくまで自分が勝手に考えてみたことです!こんなことをアレコレ考えて話せるのも、観劇の面白いところじゃないでしょうか。